2010年1月18日月曜日

分かりにくいことは、結局のところ分かりにく

ものごと、単純に割り切れないことが多くある。
そういうことを理解しようとすると、それは分かりにくいものなので、
分かりにくさと向き会わざるを得ない。
分かりにくさと向き合う努力なしに、分かることには至らない。

分かりやすく伝えることができるのに、
分かりやすく説明しないのは、伝えるものの怠慢だといえる。

でも
分かりにくいものを分かりやすくは伝えられないことが多くある。

そのような場合、
分かりやすさを優先させて、分かりにくいことがらに目をつぶってはならない。

分かりにくいこと、答えが簡単に出せないこと、善悪の判断がつきにくいこと、
そういうものに対して、しっかり向き合わなければならない。

単純明快に割り切れないことについての耐性を
持ち合わせておかなければならない。

2010年1月17日日曜日

伝統建築は柔構造? いいかげんな話は、いいかげんにしてくれ! 

阪神の地震から15年経つということで特集番組が放映されたり、
番組中のコーナーで特集して取り上げられている。

ハイチの地震の被害もかなり大きく、
建物の耐震性を無視できないことは
誰の目にも明らかだ。
誰しもが、耐震性能の技術について考える必要がある。

しかし、耐震性能の技術は、そう分かりやすいというものでもないので、
単純に分かったかのような説明は、努めて避けるべきである。

建物の耐震性についてテレビ番組で取り上げられる際に、
伝統的な木造建築物が柔構造で、とても良く考えられて建てられているとか、
その技術を活かしたものとして、エネルギーを吸収する最新技術があると、
さも分かりやすいことのであるかのように、
いいかげんな形で紹介されていることがある。

16日土曜日の朝の番組でも、かなりいいかげんな取り上げ方がされていた。
コメンテーターなる人たちの話も、分かっていないなら分からないと言えば良いのに、
知ったかぶりをして、適当なコメントをしてしまっている。
(分かっていると思い込んでいそうな感じに、私自身、唖然としてしまった。)

そういったいいかげんな話は、もう、いいかげんになくしてもらいたい!

そいうったいいかげんな話を、なくすことができない自分自身に、
大いなるふがいなさを感じ、自分自身に腹が立ってしまう。
ほとんど読まれることのないブログに書いているだけでは解決につながらないけれど、
いいかげんな話をなくすために、少し書いておくことにする。

伝統的な建築物が柔構造でエネルギーを吸収できる仕組みを持ち、
そのことを考慮して建てられてきた。
などという、さももっともらしく、分かりやすい説明を素直に受け入れて、
分かった気になってはいけない。
伝統的な建築物が地震の揺れに伴って、どのような力が加わり、どのように変形するのかということは、柔構造だから良いのだなどという単純な話だけでは説明できない。

変形することによりエネルギーを吸収できる仕組みを
最新の技術として紹介しているが、
その効果を測ることも、実は簡単には行えない。
実験をして、コンピュータで計算をして確かめたと言っていても、
それは、ある条件のもとで確認したものにすぎない。
大きな変形を生じた時にエネルギーを吸収するという仕組は、
大きな変形を生じなければ、その役割を果たすことはできない。

そもそも大きな変形を生じないようにする設計の考え方や設計の方法がある。
地震に対してどのように変形するのか、緻密に把握できない中で、
大きな変形が生じることを前提に設計するよりも、
変形を抑えた設計をする方が、考え方とすれば素直である。

五重塔が地震で倒れないことについて、
大きな変形に対して心柱が効果を発揮することもある。
大きな変形に対処する仕組が優れた耐震性能を持つことにつながっていることはある。
そのことを私自身、心柱閂説の提唱者である師匠から直接教わった。

だから、私自信、大変形を考慮した設計を行いうるだろうことは認める。

でも、話は決して単純ではない!
伝統的な建築物は、柳に風のようにしなやかで、エネルギーを吸収する。
などという単純な理解で片付くものではない。
ダンパーと呼ばれるエネルギーを吸収するものをつければ良いというような
安直な話で収まるものでもない。

分かりやすい話を、分かりやすいからといって受け入れてはならない!

私自身、
改めて、ちょっと冷静になって、
伝統的な建築物の耐震性についての怪しげな言説を消去するための
取り組みの構想を本気で練ることにしようと思う。

それにしても、
自分自身が知っていることについて、取り上げられていたので、
番組で伝えられていることが間違った印象を与えるものだと気づいたものの、
自分自身が知らないことについては、
同様に分かりやすさが先で、本質を見誤るような情報が多く流れているような気がして、
テレビの情報番組なるもので情報を得ることへの恐ろしさを感じてしまった。

2010年1月14日木曜日

『ギヴァー 記憶を注ぐ者 』 世の中との向き合い方が確認できる

ギヴァー 記憶を注ぐ者
ロイス ローリー 著, 島津 やよい 翻訳
新評論

絶版になった本を、新訳で発刊されることになりました。
復刊プロジェクトが成功し、
引き続き、全国の読者に届けるプロジェクトが行われています。
そのプロジェクトのサイトはこちらです。
http://thegiverisreborn.blogspot.com/

レビューをAmazonでのレビューのサイトに書きました。
ミヒャエル・エンデのモモ風
魔法や戦いのないハリポタ 少年の成長物語風
一見平和な世の中を描くスカイクロラ風

ぜひ購入して、お読みください。

2010年1月11日月曜日

経済成長という言葉そのものを見直した方がいいかも

「成長する」という言葉には、
未来に向かって好ましい状況に向かうというイメージが伴っている気がする。

「経済成長」というと、
当然のごとく未来に向かって好ましい状況に向かっている印象を与える。

「高度経済成長」となれば、さらに好ましい急成長をしたかのような印象を受ける。

経済的な規模が大きくなっていくことを意味するだけのことであれば、
経済拡大などと言い表した方が適切な気がする。

場合によって、
大きくなりすぎたと感じさせるのであれば、
経済肥大とでも呼べば、しっくりくるかもしれない。

「急性経済肥大」
なんだか、
かなり悪い病気にかかってしまった気分が味わえる。

2010年1月5日火曜日

『テレビ局の裏側』 テレビで紹介されるだろうか?

『テレビ局の裏側』 
中川勇樹 氏 著  新潮新書341

番組制作のプロセス
番組制作のスタッフ 
番組制作に関わる経費
視聴率を稼ぐための演出
スポンサーとの関わりなど
テレビ局の置かれている現状を
現役のディレクター自らが書かれている。

昨年末に出たばかりの本で、
紹介されている事例も新しい。

うすうす感じていたことが、
やはりそうだったのかと確認できたり、
そういうことになっていたのかということを
新たに知ることができたりして、
テレビの業界のことを把握できる面白い一冊。

テレビとつきあっていくために
ぜひとも押さえておきたいことが多く書かれている。
読みやすい本でもあるので、
ベストセラーとなって、多くの人にこの内容を知ってもらいたい。

良く売れた本として、
この本がテレビ番組の中でしっかり紹介されることを、
強く願う。

2010年1月4日月曜日

『教育の職業的意義』と参考文献は教育関係者必読

教育の職業的意義
本田由紀 氏 著  ちくま新書817

この本を年末に手にして、さらにそこに示されていた参考文献4冊を年始に読みました。
アウトプットの作業をする予定であったのに、
日々の活動を再考させられてしまうようなインプットの作業をする3日間となりました。
新年早々、いろいろなことを考えさせられました。

参考文献は次の4冊です。

日本を変える「知」 芹沢一也 氏 荻上チキ 氏 編  光文社
 今の日本の状況の捉え方、そして今後どうしていくべきか
 さまざまな問題提起がなされています。
 シノドスという議論の場の存在そのものも面白そうです。
 テレビ番組でのコメンテーターの言葉に左右される前に、
 ぜひとも読んでおきたい一冊です。

軋む社会 本田由紀 氏 著  双風社
 『教育の職業的意義』に書かれている内容のベースとなる考え方が
 書かれています。阿部真大、湯浅誠 両氏との三者の対談の内容も
 これからの社会のあり方を考えるための大いなる示唆を与えてくれます。
 これからの教育の在り方を考える際には、読んでおきたい一冊です。 
 
マジで使える労働法 今野晴貴 氏 著  イースト・プレス
 NPO法人POSSEの活動を知っておいた方が良いと思われます。
 労働法をしっかりと押さえておくことの重要性を痛感させられます。

労働法はぼくらの味方! 笹山尚人 氏 著  岩波ジュニア新書615
 ジュニア新書であるものの、大人も読んでおくべき一冊です。
 アルバイトをしている生徒、学生に対しても、
 教えておくべき内容が書かれています。


初等、中等、高等に関わらず、教育に関わる仕事をしている人にとって、
どの本も読んでおくべき本だといえます。
生徒、学生が最終的には社会で生きて行かねばならず、
その社会を生き抜くための知識を、
教育関係者はしっかりと説明できなければなりません。

自分自身の無知を再確認した年始を過ごしました。
そして、今後の取りうる方策についてもいろいろと考えさせられました。

予定の作業が進まなかったものの、かなり有意義な年始であったように思えます。