2007年3月23日金曜日

大いなるエネルギーが注がれている教科書

 高校の教科書のいくつかを見てみました。その編集には大いなるエネルギーが注がれ、非常に多くの知識が極めてコンパクトに詰め込まれていることに、改めて気づかされました。そこには結構専門的な知識が盛り込まれていて、そこに書かれている内容が理解できれば、社会で求められる人材として十分にやっていけそうに思えます。
 問題として感じたことは、コンパクトに編集されたそれぞれのことがらが、コンパクトには語りえず理解し得なさそうな形で圧縮されているということです。旅行などにで便利だとされる圧縮して小さくなったタオルがあります。小さな円筒形の塊が水につけるとタオルになるというものです。教科書に盛りこまれた事がらも水を得て、実際の姿になると実に大きなものになります。実際には、その大きなものについて考え理解するということことが重要なのですが、コンパクトに納められたものをなぞるだけでは、その理解に行き着くことは難しく、ましてやその中身の面白さに気づくことはさらに難しいのかもしれません。
 あるテーマについて、深く考え、理解へと向かうことを学習だとすれば、コンパクトに凝縮された知識が納められている教科書というものは、学習の際に辞書的な役割以上の力を発揮するものではなさそうに思えます。教科書なるものの存在の発生、さらにはあり方そのものについて、検定の是非や有無などということを超えて、考えてみなくてはならないと思わされてしまいました。

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